AIは「何を問うべきか」を教えてくれないのか

AIに「何を問うべきか」と聞いてみた
7月12日に掲載された朝日新聞のコラム「天声人語」に、気になる一節がありました。
「AIは、聞けばいくらでも答えを返してくれる。でも、私が何を問うべきかは、教えてくれない」
生成AIと教育について論じたコラムの結びの部分です。AIを使えば、文章を書いたり、調べものをしたりする手間は大幅に減らせます。しかし、「何に疑問を持ち、どんな問いを立てるのか」は人間の仕事であり、「そこにこそ、人に残された創造性があり、人間の面白さがあるのではないか」と筆者は書いています。
なるほど、と思う一方で、私は引っかかりました。本当にAIは、「何を問うべきか」を教えてくれないのだろうか。
そこで、試しにChatGPTにこう聞いてみました。
「私があなたに何を問うべきか。何を質問すべきか。そのヒントを教えて」
すると、いくつもの提案が返ってきました。
「私が見落としている問いは何?」
「私の問い方には、どんな癖がある?」
「この二つは、本当はつながっていない?」
「反対側から見ると?」
「これは誰にとっての常識?」
なかなか悪くありません。
AIは「問いを増やす道具」にもなる
考えてみれば、これは取材や調査にも使えそうです。
何かについて一通り調べたあとに、「ここまでの話で、私がまだ聞いていない重要な質問を10個挙げて」とAIに尋ねれば、自分では思いつかなかった論点が出てくるかもしれません。
取材前なら、「この取材対象について、記者が見落としやすい質問は?」「この人の主張に対する最も強い反論は?」「専門家には当たり前だけれど、一般の人が疑問に思いそうなことは?」と尋ねることもできます。
AIは答えを出す道具であると同時に、問いを増殖させる道具にもなり得るのです。
そう考えると、「AIは何を問うべきか教えてくれない」という天声人語の一節は、少なくとも現在の生成AIの能力に関する記述としては、少し言い切りすぎではないかと思いました。
しかし、ChatGPTとの対話を続けているうちに、別の疑問が湧いてきました。
「問いを作ること」と「疑問を持つこと」は、同じなのだろうか。
「問い」の前にあるもの
たとえばAIに、「メディアとAIの関係について、重要な質問を20個考えて」と頼んだとします。
「AIによって記者の仕事はどう変わる?」
「AIが書いた記事を、どこまで信用していい?」
「取材や編集のどんな作業をAIに任せられる?」
「AI時代に、ジャーナリストにしかできないことは何?」
おそらく、こうした質問をすぐに作ってくれるでしょう。20個どころか、100個でも作れるはずです。
しかし、私たちが日常で何かを見聞きしたとき、問いになる前に「あれ?」と思う瞬間があります。
なぜ、この言葉を使っているのか?
それは本当に正しいのだろうか?
みんな当然のように言っているけれど、そもそも、なぜそうなっているのか?
まだ明確な質問にはなっていない、小さな違和感です。私はこれを「引っかかり」と呼びたいと思います。
問いとは、この「引っかかり」が言葉になったものなのかもしれません。
山頂より、道端の地層が気になる
先日、ある人と山歩きについて話しました。
その人は、山を歩いているとき、途中で見かける地層や、ある場所だけに群生している植物が気になって、つい立ち止まってしまうそうです。
「あ、この地層いいな」
「なんでここだけ、この花が咲いているんだろう」
目的地へ効率よく向かう人から見れば、単なる寄り道かもしれません。しかし、問いは案外、こういうところから生まれるのではないでしょうか。
AIに「この山で注目すべきものを100個挙げて」と頼めば、地層も植物もリストアップしてくれるでしょう。
しかし、実際にその場所を歩いていて、予想していなかったものが突然目に入り、
「なんだ、これは?」
と立ち止まることとは、少し違います。
天声人語が「人間の面白さ」と呼んだものも、本当は「問いを生成する能力」そのものではなく、この「引っかかる力」に近いのではないでしょうか。
「人間が問い、AIが答える」はもう古い?
これまで、生成AIについては、
人間が問いを立てる → AIが答える
という関係で語られることが多かったように思います。
しかし、実際にAIを使っていると、人間とAIの役割の「境界線」はそれほど明瞭ではありません。
いまでは、AIも問いを作ります。反論もします。ときには「あなたが見落としている論点」を提示します。
場合によっては、AIが出してきた問いを見て、人間が「そうか、そんな考え方もあったのか」と初めて問題に気づくことさえあります。
だとすれば、AI時代に人間に残されるものは何なのでしょうか。
AIは問いを提案できる。しかし、その無数の問いの中から、ある問いに立ち止まり、「これは自分にとって重要だ」と感じるのは人間です。
少なくとも現時点では、そこに大きな違いがあるように思います。
AIに問いを作らせると、人間の問いが増える
そして、もう一つ面白いことがあります。
AIに問いを考えてもらうことで、人間が問いを立てなくなるとは限りません。むしろ逆のことが起こります。
人間が疑問を持つ。
↓
AIに聞く。
↓
AIが問いを返す。
↓
その問いを見て、人間がまた引っかかる。
↓
そこから新しい問いが生まれる。
そんな循環が始まるのです。実際、今回の私がそうでした。
「AIは、私が何を問うべきかは教えてくれない」という文章を読んで、まず「本当にそうなのか?」と引っかかりました。
そこでAIに、「私は何を問うべきか」と尋ねてみました。AIは、いくつもの問いを返してきました。
それを読んでいるうちに、今度は私の中に、「問いを作ることと、疑問を持つことは同じなのか?」という新しい問いが生まれました。
最初の問いは私が作り、それを受けてAIがいくつもの問いを提案し、さらにそれをきっかけに私が新しい問いを作る。どちらが「問いを作った」のか、だんだんわからなくなってきます。
でも、それでいいのかもしれません。
AI時代に必要な「知的な寄り道」
AI時代に大切なのは、「良い問いを作れる人間になること」だけではない。最近、そんなことを考えています。